010-「自分の感覚を信じる」と、その感覚が間違っている可能性

最初に栄養療法や藤川先生のブログ、鉄欠乏などの考え方に出会ったときに思ったことのお話。

スピリチュアルの分野では、「頭で考えない」、「自分の感覚をしっかり感じる」、「自分の感覚を信じる」、というようなことがよく言われていると思う。

わたしはいわゆる「繊細さん」、つまりHSP(Highly Sensitive Personの略 – 直訳すると、とても繊細(敏感)な人)に該当する。書籍やインターネットでいくつか診断をしてみると軒並み高スコアで満点のものもあったので、繊細度はかなり高いのだと思う。小さかったころも、化繊の服はかゆくてイヤだったり、多少でも舌触りの悪い食べ物は気持ち悪く感じて食べたくなかったり、かすかな匂いにも敏感に反応して「〜〜の匂いがする」と言ったりしていた。そして、大人になってからヒーリングなどを学んでいたときに、その感度はより高くなったと思う。

最初にヒーリングを知ったキッカケは、頭痛を治したくて通った漢方医でたまたま受けた気功だった。(リンク)先生がわたしの背中に手を当てると、体の中をざーーーっと粒子のようなものが流れるのを感じた。それがおもしろくて調べているうちにヒーリングに出会った。ヒーリングを受けるときも、体の中を粒子が流れる感じ、何かが体から抜けていく感覚、体全体だったり一部だったりが熱くなったり寒く感じたり、といろいろな感覚があった。そして、それをヒーラーの方やヒーリング仲間に話すと、「敏感ですね〜!」と言われたりもした。

ヒーリングという得体の知れないモノで、自分の体にそんな感覚が生まれることがおもしろくて、自分の体により注意を向けるようになった。「敏感ですね〜!」と言われるのがほめられているように感じられたのもあった。

それがただおもしろくて続けているうちに、自分の感覚はもともとの感度よりももっと敏感になっていったんじゃないかと思う。測ることができるものではないから、分からないけど。

スピリチュアルっぽい分野〜とぼやかして言うのは、本当にいろんな人がこういう系の発信をしていて、いろんな考え方があって、高次の存在へのチャネリングだとか霊だとかの話をするような昔ながらのスピリチュアルともちょっと違う内容もあったりするから〜では、「まずは自分の体の感覚をしっかり感じること」を強調されることがある。特にスピリチュアルが好きな人の場合、ふわっとした可能性(理想的な人生の引き寄せとか)や、空想のような世界(異次元だとか宇宙人だとか時空の隙間だとか)に心惹かれすぎて、物理的な体を持って物理的な世界に生きている今の自分の人生から、意識がふわふわっと離れている人が多いからだととらえている。

あ、引き寄せも異次元も宇宙人も否定しないよ。時空のおっさんの話とかも。むしろ大好き。高くて毎回は買えなかったけど、元ムー読者だからね。

自分もそういうのが好きなだけにふわふわしがちなので、その面からも、自分の体にはしっかり意識を向けようとしてきた。常にちゃんとできてるかっていうと、話は別なんだけど(^-^;)

そして、そうやって感じようとしてきた「感覚」は、自分の物理的な体で感じているものだと思っている。

だから、栄養療法や藤川先生の理論に初めて出会い、「体が本来必要としている栄養素が満たされていない可能性」や「それによって内臓、血液、神経、筋肉、代謝、その他の体の要素がうまく働いていない可能性」を知ったとき、それはつまり、今まで感じてきた「感覚」が間違っている可能性もあるのでは?と思った。

例えば鉄、マグネシウム、ビタミンB群、タンパク質などが不足していると神経系が正確に動作しないとすると、そういったものが不足している状態で感じた感覚は、正確じゃないかも知れない。

本来は、「〜〜が食べたい!」という感覚にしたがって体の欲求を満たしていれば、その感覚は本来は体を健康に保つための感覚であったはずだから、それだけで健康でいられたのかも知れない。

でも、例えば、体が特定の栄養素を欲していることが「ほうれん草が食べたい!」という感覚となって感じられたとしても、味や見た目のために品種改良されまくって近年の農薬と化学肥料たっぷりの土壌で作られたほうれん草には、実際にはその栄養素はたいして含まれていないかもしれない。

例えば、「米とかパンとか食べたい!」と思ったとしても、実際は糖質中毒のように感覚がおかしくなっていて、本来欲するはずの糖質量よりも多く欲しいと感じているかもしれない。

例えば、「肉はちょっとしか食べる気になれないから、ちょっとしかいらない体質」と思っていたとしても、それはタンパク質不足で消化酵素を作れなくなってたり、ビタミンミネラルなどの不足で胃酸を十分に分泌できなくて、消化能力が落ちているからかもしれない。本当は体はもっとタンパク質が欲しいんだけど、消化できないから食べられないだけかもしれない。

もしそういう可能性があるなら、自分で感じている感覚を無視したほうがうまくいく場合もあるのかも?

〜〜を食べたい、とか、〜〜は食べたくない、とかを無視して栄養療法の理論どおりにやったほうがいい部分もあるのかも?

…と思っている。

「感覚」の中にはきっと合ってるものと間違ってるものと、合ってると言えば合ってるんだけど、今の体の状態ではある意味しかたなくそう感じているもの(肉を食べたいと感じられないけどそれは単に消化機能がうまくいってないだけで本当はタンパク質が必要な場合など)があって、それをしっかり見極めながら自分の体を感じることが、うまくいく秘訣のうちのひとつなのかもしれない。

この見極めの部分はまだうまく言語化できないんだけど。

Image by Gerd Altmann from Pixabay.

タイトルとURLをコピーしました